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ロマン塩尻第122稿 塩尻市神社仏閣ぶらりシリーズ 48

塩尻市の神社仏閣ぶらりシリーズ 48

太田諏訪神社(おおたすわじんじゃ)
   祭神 建御名方命(たてみなかたのみこと)
   事代主命(ことしろぬしのみこと)
例大祭 4月第一土曜日・日曜日例大祭は松本地方では
一番早い春祭りです。   地籍 塩尻市大字洗馬宮下
 拾数年振りの豪雪の、数日後に兼ねてより計画をしていた、太田の信濃ワイン工場の正面を50mほど入り神社を訪れて見ました。 拝殿までは行けたが、境内や社叢は40~50cm程の積雪でした。 先ずは雪の参道を明神鳥居を潜り前屋に当り正面神殿に向かい、拝殿前に進む。 太田諏訪神社の由緒によると、建御名方命は、出雲の国の御祭神、大国主命の御子神です。水や風に直接関係のある農業の守護神としての信仰が著名です、全国に分布する御分社は一万有余社あると言われ、諏訪神社の御神徳の厚き事が伺われます。その分社の一つ太田諏訪神社は、村民の寄付金等で、神社を改築、建立したとも言われ、本社諏訪神社を、モデルに天保10年(1839)6月建立を決め、弘化4年(1847)2月、落成したと伝えられています。 完成に7年余りの長い年月を要したといわれています。 神社を建立したのは、当時太田村の宮総代や組頭として活躍した彼は、宮大工として高名な立川流、初代立川和四郎の弟子で、宮大工塩原源助棟梁とその弟子達と言われています。 本殿にある龍の彫刻を見事完成させました。洗馬元町の青松山長興寺、山門の龍の彫刻も、宮大工源助棟梁の作品で文政4年(1828)に落成したと言われています、いかに腕の優れた棟梁であつたかが伺われます。160年余りの年月が経過した今でも、本殿はその美しい姿をとどめています。 境内にはそのほか、妙義神社、津島神社、などが末社として祀られています。本殿の屋根は檜皮葺きでとても綺麗でしたが、その屋根も長年の風雪で痛みが進み、歴史ある本殿を、後世に長く残す為、銅板葺きの屋根に葺き替え、平成18年(2006)11月に完成しました。本殿裏にある古木(周囲350cm)推定樹齢百六十年の杉の木を御神木と崇め、平成17年(2005)八月区民の賛同を得て注連縄を張り、11月神事を行い太田神社の御神木となりました、昔、天狗が降りた所、これに触れるとこの神社の神罰を受ける、と伝えられていました。 津島様については伝説があり、即ち元禄年間のある6月4日、部落全体の者が本洗馬の山へ,刈敷刈に出掛けた留守に2~3軒を除くほか、残らず焼けてしまった。以来神社内で同様の祭りを鎮火祭としてきたといわれています。 4月4・5日、祭日の両日は必ず雨か雪が降るといわれ、"お札納め所"については、毎年1月氏子の代表者が、伊勢諏訪と同様に、上州妙義山に代参し大札を頂いて帰ると境内社に納めるのだといいわれます。 小札は各戸に配り、神棚に奉安する。祭神は建御名方命と事代主命の御二方であるが、どうしてここに諏訪社をお祀りするに至ったか、由緒事由は明らかでありません。 一般に土地の人は、「ウジガミサマ」或いは「オブスナサマ」と俗称しています。この神様は梅がお嫌いだといわれ、太田部落には梅の樹が育たぬ由との事です。 文化財保護審議会委員会で、寺社建築の大家である、大河直躬千葉大学教授が昭和63年11月20日塩尻市を訪れ、市文化財調査委員らと市内の建築物を視察、調査しました。塩尻町の永福寺観音堂や宗賀平出の伊夜彦社など計6か所を調査、これらのうち洗馬太田の諏訪社の調査で同神社境内にある津島社について大河教授は「彫刻に中世の名残をとどめている、塩尻市としても注目すべき」と指摘。江戸初期の虹梁、という見方を示しました。 誰も気づかぬ文化財に触れた気分ででした。
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振興バス路線図・時刻表  洗馬線 中原バス停下車 
            徒歩約0.6km 約13分
 バス料金一律100円(子供同額) バス車内には両替機が
 ないので、釣り銭のないようにご用意ください。

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