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ロマン塩尻第120稿 塩尻市神社仏閣ぶらりシリーズ 47

十王堂(じゅうおうどう)  塩尻市北小野古町米山 
神祭 江戸中期の作と言われる十王等十三体の石仏(奏広王・ 
初江王・宋帝王・五官王・変成王・太山王・平等王・都市王・
五道輪王・閻魔王)が安置されている。
 積雪の解きらぬ参道の奥に茅葺のお堂が見えた、ここだけは平坦な広場、周りは山肌に段々の墓地が広がる。是より上には人家は無さそうで、春は芽吹き、夏は森林浴、秋は紅葉となるであろう閑静場所です。
神明山の裾から南300m辺りの米山地籍の茅葺のお堂で神仏混淆時代には小野神社・矢彦神社の四隅に四堂(阿弥陀堂・観音堂・地蔵堂・十王堂)があり、四堂とその仏像は正徳3(1713)年の神社仏閣帳にも載っている。慶応4年の神仏判然令によって三堂は取り壊されたが、北東隅の十王堂はいち早くここに移され難を免れた堂は明治17年火災で類焼、同年、再建されました。
 十王堂の移転については次のように言われています。明治元年廃仏毀釈の際、11月米山の墓地仲間の者が相談の上、名主古厩順平、同辰野源蔵、神官小野金吾三氏へ願い出して十王堂を貰い受け、11月25日に現地に完成。大工手間は二区で木曽の大工に渡し、屋根は自分達で麦から、縄等持ち寄って葺いたといわれています。
 明治17年5月25日石灰竈より出火、十王堂も類焼、葬祭道具も消失してしまい、6月仲間連中の山から伐木し、製材は矢ケ崎氏に、建築は大工欽蔵氏に、屋根は雨沢の職人赤羽氏に渡し、屋根材等は買ったり、仲間で持ち寄って9月10日に完成しました。その時の仲間は39人だったといわれています。昭和46年の十王堂の修理完成にあたって、近藤恒良(祭林寺住職)氏が寄せた詩を紹介、《祝十王堂改修落慶》秋天気爽憑之郷 染出祇林十王堂 水月山雲尋往事 済度衆生放浄光。また、竣工を喜んで次のような詠歌をした人もいた。 由緒ある、十王堂の屋根替なりて、落慶供養秋晴れの日に、堂内に安置してある十王石仏像について、解説をし一般の理解と信仰を望みたい。昭和45年6月文部省の文化財保護担当官一行が、小野神社に見られた際、当十王堂の石仏像を調査されたが、江戸中期頃の作と推定される貴重な文化財であるから、十分保護に留意してほしいと希望されたことである。なお、元禄11年(約290年前)神社仏閣書上帳にも小野十王として載っている。
十王信仰は中国の唐、宋五代の頃起ったものと言われるが、その思想はもっと古く六朝さかのぼると言われています。これは十王教という多分日本では最も古い仏教による民間信仰と考えられるものであって、人間の死後、冥土に行って生前の罪が裁かれる地獄の庁の10人の裁判官を彫刻したものであり、中国から朝鮮を経て日本に渡来したのは、平安朝の頃と伝えられています。鎌倉時代初期には、伊那谷に入り漸次信濃国全般に広がったと考えられる痕跡が残され、室町、戦国、桃山、徳川期と盛んになり、明治の極く初期までに至っています。
石像研究は歴史的ばかりでなく、造形的見地からも興味深いものを感ぜられるものであり、温故知新の意味合いからも、先人の残した貴重な文化遺産を大切に保存していくことは、私共現代に生を享けている者の責任です。 日も高く雪溶けの滴の軒より激しさの増す中、参道に出て帰路につきました。
地図はこちら   小野駅から徒歩1.7km約21分
地域振興バス路線図・時刻表 北小野線 古町旧屯所前下車、
徒歩200m約2分  バス料金一律100円(子供同額)
車内には両替機がないので、釣り銭のないようにお願いします。

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