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子供たちの郷原宿見学

 郷原の子供たちの夏休み中に行われた見学会を、実況風にレポートします。

 広丘小と桔梗小の子供たちが、シャッターに絵を描いてくれました。郷原宿とは、ここを南の入り口として、郷福寺までの約385メートルの間を言います。
 これから、皆さんと郷原宿の見学をしましょう。大きくなったら、ここを訪れる旅人たちにご案内できると良いですね。
 用水路にたくさん蛙が泳いでいます。この水は、奈良井川上流の琵琶橋付近から引いてきたものです。道の中央と東西の屋敷内と外に取り入れています。現在も、田畑などに生活用水として使われています。後で確認しましょう。
 郷原宿が制定されてから約400年になります。その間、2度の大火に見舞われました。現在ある家屋敷は、150年ほど前の安政5(1858)年以降に再建されたものです。
屋根の上に棟飾りがあります。これが、切妻本棟造りです。棟飾りは「すずめおどり」や「すずめ返し」などと呼ばれています。山城屋さん、下問屋さん、川上屋さんです。お母さんたちが、シャッターに描かれていたねと、仰ぎ見ていました。平入り横屋造りも道に面して、長く建てられているのが特長的です。上総屋さんです、かって郷原学校がありました。歩いて行く途中、女の子が桔梗の花を見つけました。そう、この花もシャッターに描きましたね。
飲み水として、20メートルくらい深井戸を掘ってみんなで管理していました。井戸の内部は、丸い石で積み上げられていました。子供たちが、興味深かそうに案内書の写真と、井戸をのぞいていました。詳しくは、調査中ですのでお待ちください。
郷原街道は、ほぼ直線的な道筋で、区画割が整然と整備されています。東と西に40間を宅地、その奥60間を耕地として広がっています。特に、この区画割と深井戸は、塩尻市の市史跡に指定されています。
桔梗山郷福寺は、慶長17(1612)年、池の坊という地から、現在の場所に移されました。文政4(1821)年の大火の後、再建されました。
本堂には、明治13(1880)年、明治天皇が巡幸の折、郷福寺でお休みになられました。玉座(天皇がお座りになられたところ)が当時のまま残されています。また、元禄元(1688)年に松尾芭蕉が、郷原宿に立ち寄ったことが「更科紀行」に記されています。本堂前に句碑があります。「野を横に馬曳きむけよホトトギス」と詠まれています。当時、郷原在住の俳人、青柳露白さんが芭蕉が亡くなってから85(1780)年後に、建てものとされています。

郷福寺には、郷原宿や郷原街道の歴史がたくさん残されていると思われます。日を改めて、住職さんの講話も聴かれたら如何でしょうか。
東側の裏道で外センゲを見ました。田畑の間を流れているのが見渡せました。
屋敷内の内センゲも確認しました。西側の屋敷にも同じようにセンゲがあります。昔から郷原の人々が、水を大切にしていたことがわかります。
 シャッターの前に戻りました。遠くから見ても、絵が浮び上がって見えます。子供たちは、あれが「すずめおどり」だと、さっそく指をさして確認していました。また絵を描きたいこと、井戸の中を見たいこと、用水路は外センゲからどこに行くのかと、それぞれの反応の速さに驚いています。
お母さんたちは、この地に嫁いでからでのことでもあり、郷原宿の歴史に興味を持たれたようです。学校の先生方にも、案内書を見せたいとのことでした。
今日、参加できなかった子供たちもいますので、改めて、今回のような見学の機会を設けて欲しいとのことでした。 大歓迎です。
皆さんありがとう。郷原宿を、少しでも理解してくれたことに感謝します。
                                   郷原宿を愛する会

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